“ある晴れた日”(2024年)
私はひどく忘れっぽく、数年前のことすら記憶に無いのだから、幼少期の記憶なんてすっぽり抜けている。だから、昔の写真を通して、幼少期の自分を学ぶ時がある。
古いアルバムをめくると、その世界はいつも晴れている。晴れているからか、穏やかな気分になる。幼少期には不安も勘ぐりも何も無かった。非の打ちどころのない幻想のような気がする。これを人はノスタルジーと呼ぶ。
しかしあとから、晴れているから、写真を撮るのだと気づいた。
この日の前後には雨が降ったかもしれない。変わり映えのしない毎日が繰り返されていたかもしれない。だけど、この日は大阪から祖母が来て、皆で集まったから、母の手作りの洋服を着せられて写真を撮るには絶好のチャンスだった。
自力では思い出すこともできない、祖母にあたたかく見守られながら、おぼつかない足取りで歩く自分の姿。=それは写真の中で永遠に晴れの日を生きる、愛を受けて輝く無垢なスピリットそのものだった。
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